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「一つ着て見せたらどうです?高間さんにはきつと似合ひますよ」
「あなたは、多分――」
「何分ごらんの通りの未熟者でして――」
最初、房一の頭の中にはペンキ塗りの清潔な外観を持つた医院が描かれていた。だが、この長たらしい築地にかこまれた家を一見するに及んで、その考へは棄てざるを得なかつた。今の大工の一言できまるまでに、何度玄関を外から眺めたことだらう。
そのとき、女房に命じて、温泉を加熱する装置を施してもいいか、ときかせると、
「いや、あの晩の、ほんの三二日前です」
「フム」
「閉口でしたな」
房一は酒が不得手だつた。ところが、相沢も家業に似合はず呑めない口と見えて、二人の間には手もつけないまゝで生温くなつた銚子が二三本も置かれていた。こゝでも房一はもう会ふ人ごとに聞かれてうんざりしている医者となるまでの経歴を、相沢の問ひに答へてぽつりぽつり話さねばならなかつた。
「有馬に湯あみせし時、日くれて湯桁ゆげたのうちに、耳目鼻のなき痩法師の、ひとりほと/\と入りたるを見て、余は大いに驚き、物かげよりうかゞふうち、早々湯あみして出でゆく姿、骸骨の絵にたがふところなし。狐狸こりどもの我をたぶらかすにやと、その夜は湯にもいらで臥ふしぬ。夜あけて、この事を家あるじに語りければ、それこそ折ふしは来り給ふ人なり。かの女尼は大阪の唐物商人伏見屋てふ家のむすめにて、しかも美人の聞えありけれども、姑の病みておはせし時、隣より失火ありて、火の早く病床にせまりしかど、助け出さん人もなければ、かの尼とびいりて抱へ出しまいらせしなり。そのとき焼けたゞれたる傷にて、目は豆粒ばかりに明きて物見え、口は五分ほどあれど食ふに事足り、今年はや七十歳ばかりと聞けりといへるに、いと有難き人とおもひて、後も折ふしは人に語りいでぬ。」
「ねえ。――はやく。――患者ですわ」
と、思はず房一の微笑に釣りこまれて、練吉は気がるな笑顔になつた。いつのまにか、かた苦しい「わたし」から「僕」といふ云ひ方になつたのも気づかないで。
「どこの帰りかね」